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新しくホームペ−ジ作りました! NEW HP                                      

MICRO CADAM(HELIX) の設定、サポ−ト、修理

パソコンの訪問修理 
        
インタ−ネット訪問設定

セキュリティ対策支援

    


今はもぅ旬を過ぎた?MicroCADAM (Helix)の設定 メンテを主にしています。

最近はAutoCAD系、ICADもいじらせていただいてます


ボランティア価格で?                        絡絡先→
                                                                           


 Micro CADAM(Helix) についての情報

(新しいOSやパソコンハ−ドがCADAMに対応して無い場合が多くなってきました。
CADAMをインスト−ル出来るハ−ドやOS情報を別ペ−ジで記載したいと思います。




世の中、いつ終焉するか分からないコロナ渦のなか、機械設計受託業界の今後の展開がいまいち不明です。経済はK字回復とかで勝者と弱者の乖離がますます大きくなっていくようです。もともと機械設計の受託業者は弱者ですので、いろいろ知恵を使ってこの状況をなんとか打開しようと懸命です。各国国債の大増発で金余りとか喧伝されていますが、それは強者の世界のことで、私のような弱者には嘘のような話です。なにはともあれ、今ある資源を有効活用して生き延びていくしかないようです。ということで古い資産のCADAM Helixを何とかうまく動かして稼ぎましょう。勿論、十分に手元資金に余裕のある方は、どんどん新しいCADソフトに轉換すれば、更にいっそう優位な環境で快適にお仕事が出来ます

CADAMの設定の備忘録
idxファイルが壊れている
場合の修復
idxファイルを
削除して新たにidxファイルを作れば読める。

コマンドプロンプトを起動して、
c:\mchelix\hdd\mcidxutl
と入力してください。
次に
コマンドを入力してください:init
区画を入力してください:C (MOのドライブ名:MCFILSYS上の名前)
グループ名を入力してください:CAD (MOのデータのグループ名)
ユーザ名と図面枚数を入力してください:TRAIN,1000 (MOのデータのユーザー名と
ファイルの数:多めで良い)

データファイル自体がいっている場合は読めない。
Helixプロットの設定例 D&MのV4R3が入っているので、先ずOSから出力したい
プロッター(又はプリンター)への出力が出来るように
します(テストプリント等で可)。
次に環境設定ユーティリティのMCHC4.SYS(V5はMCHC5.SYS)に
あるプロッターの設定でポートの項目にOS上に登録されている
プロッター(又はプリンター)の名称を入れて、パスと
ドライバー名の項目でMCGDI.EXE(デフォルトだとD&M V4R3を
インストールしたフォルダ内にあります)を指定します。

ここまで設定できたら、次にプロットメニューから出力機器を
選択できるようにMCVOD.TBLを書き換えて、MCVOD.TBLより参照
されるプロッターの設定ファイル(PENPLT*.PRM)を環境設定
ユーティリティで設定したプロッターの番号を指定するように
書き換えを行うと出力出来るようになります。

もしこれで判らないのであれば、販売会社に相談して有料で
設定してもらうのが、良いと思います。

HPGLの出力についてはMCGDI.EXEの代わりにMCGLF.EXE(これは
D&Dのフォルダ内にあります)を指定してHPGLの書き出し先を
環境設定ユーティリティ上で指定しておくと、拡張子がGLF
というファイルがプロット出力指定後に作成され、この
ファイルがHPGLファイルになります。

今までLAN接続先へHPGLで出力していたのならばRPDという
オプションのソフト経由で出力されていたハズなので
移行元と同じファイル(RPD*.*のファイル)が移行先に無いと
出力は出来ませんので、一度再確認してみてはどうでしょうか?

最後にシリアル出力は、設定してもHelixに付属している
標準のドライバでは、すご〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜く
時間がかかるので、実務には不向きです。
Helixの図面枚数増加
の設定例
コマンドプロンプトを起動して、
c:\mchelix\hdd\mcidxutl
と入力してください。
次に下の例を参考に図面を登録したいグループ・ユーザの
最大枚数を増やしてみてください。

コマンドを入力してください:rep
区画を入力してください:C
グループ名を入力してください:CAD
ユーザ名と図面枚数を入力してください:TRAIN,10000

成功すれば

正常終了(REP)
C:CAD:TRAIN

と表示されます。これでC:CAD,TRAINの最大図面枚数が
10000枚になります。
 
キャダムはhelixになってから基本設定で1ユーザー内に5000個となっていま
す。
インデックスファイルユーティリティーからrepコマンドを使うことで、32700個ま
で増やすことが出来ます。

 最近のWin10 64ビットOS対応のHelixをいじくってみての感想


Win10 32ビット OSへのHelix V5R2 又は V 3.18Bのインスト−ルの方法

 
BMI IGES ,DXFの変換ソフト ASA が最近動かなくなってしまった
 旧遺産のCADAMのデ−タ−を大量にDXF ファイルにしたい。

 詳しく書こうと思ったが、商売あがったりになるので止めます。
 こういったトラブル等で困っていたら一報を
 ボランティア価格で秘伝伝授?、作業します。

 1)インスト−ルのEXEコマンドが途中で止まる
 2)インスト−ル出来たが、Mc Server が立ち上がらないため CADAMが起動直後止まってしまう。

☆CADAMについては、DOS OS/2 の初期版からいじってきましたから、いろいろ知識、ノウハウあるかも?
 困っていたら解決方法お教え出来るかも?






              
余談   Micro CADAM  今昔

 IBMは30年前はマイクロソフトを下請けに使う巨大な会社であった。その頃、マイクロソフトにDOSの開発を下請けとして使ったのが、今となっては運を逃したのか。IBMにとっては当時利幅の薄いパソコンなんかはあまり眼中になく、利幅の高い大型コンピュ−タに注力してしまった。当時の最初のパソコンOS、32ビットOS、OS/2などと言っても老人でないと知らないであろうが。今のWindowsのはしりのような使い方が出来る、あの当時としては画期的なOSであったが、何しろパソコンの能力が低すぎた。巨大なOSを立ち上げるだけでも数分かかるようなしろものだ。またLANも出来るシステムであったがト−クンと名付けられたLANのケ−ブルの太さは1センチくらいあり、ハブに相当するものは重く大きな弁当箱よりでっかいしろもの。USBなどという規格はなくSCACIが全盛。SCASIが消えたのは今でも残念に思う。メモリ-を使わないのでパソコンに優しい。でもケ−ブルの入出力のコネクタ−の形状は幅5センチくらいあり、やはり現在では無理な規格かな。いや、USBでもどんどん進化しているから小型化出来たのにな。 

 その当時のマイクロソフトから出されたDOSは、当時のパソコン能力にはなんとかフィツトしたのか、日本でもNECの98系のパソコンがかなり普及しはじめた。でも今となってはかなり使いづらいものではあるが。購入ソフトを起動させるためには、自分でautoexect.batとかいう簡単な起動DOSパッチをつくらるばならない。あまりユ−ザ−メモリ−を使うと動かなくなるか落ちる。そこでメモリ−のふりわけとかでconfig.sysの設定を試行錯誤でいじる。趣味として遊びならいいのだがその当時、DOSの文章作成ソフトで一世を浴びたのが一太郎。当時で5万くらいしたのではないだろうか。なかなか高価なもので簡単には購入出来ない。その当時のソフトにはプロテクトがかけてない。ということで、著作権の裏をついた商売、ソフトの貸し出し屋が流行った時代である。一応、その場合、店は顧客に売却、後日買い戻すという商売だ。(そうそう、当時の表計算ソフトは LOTUS だ。まだEXCELは無かった。この当時の表計算ソフトはプリントにかなりの技術がいる。もともとDOSのプリントアウトはなかなか難しいのだが、表計算の出力はそれに輪をかけて難しかった。しばらくして破竹のマイクロソフトに買収されてしまったが) しかしながら、300万もするCADソフトには、残念ながら厳重なハ−ド的プロテクトが付いていた。さすがIBM。ということで、プロッタ−を入れると600万近い大枚を叩かないと、MicroCADAMのユ−ザにはなれなかった。 
 
 この当時は今のインタ−ネットに相当するパソコン通信が流行った。私も面白そうだからやった口だ。モデムを使って電話回線経由で通信するのだ。今のヤフオクみたいな、物の売買が出来る掲示板があった。ここで中古のTTLカ−ドとか購入した記憶がある。何しろ1枚3万以上もするので中古で5千円くらいなら安いとか思っちゃう。そうそう、その当時でもイギリスは既にインタ−ネットが末端市民でも利用されていた。たまたまパソコン通信でやりとりした英国駐在員はインタ−ネットを使用していた。そうそう、外国とのやりとはひらがなや漢字が使えない、英語で連絡しろっとか。おいらは、ロ-マ字が使えるではないかと言い返した。今思うと笑っちゃう時代でした。

 これはその後10年くらい経たときの話、ちょうどWindows95が出た頃の話であるが、当時の私と同業の山陽の方の事務所の経営者と知り合った。パソコンにも詳しく、一緒に遊んだ仲だったが、その当時バブルがはじけ設計業界もどん底。彼も一計を図って、アルバイトに注力した。昼間は社長業、夜中はアルバイトに注力。彼はUNIXのワ−クスティションにも詳しく、同業の知り合いのワ−クスティションのメンテを夜中のアルバイトとした。当時のUNIXマシ−ンは、当時のパソコンより一桁違う価格だった。それにしても彼の豪語にびっくりした。なんと夜中のアルバイトで数千マン稼ぐとか。そのアルバイトでなんとか数十人の従業員を支えているとのたまわった。当時、IBMを筆頭にNECや富士通、日立が、どれほどメインフレ−ムで荒稼ぎしていたか想像できる。


 話を戻すと、当時のDOSのパソコンにはユ−ザ−メモリ640Kという制約条件があった。IRQも数が限定されていた。鍵盤PFKやスタイラスを使うと、COMポ−トが2個いる、さらに当時のプロッタ−出力もCOMポ−トから出力。(RPD出力しない場合であるが。)ということで、この条件ではスタイラスを削るしかしかないとか悲劇的な問題がいろいろあった。 それとモニタ−の解像度。当時の汎用パソコンはVGAのノ−マルモ−ド640x480の解像度。これではCADでは作図範囲が狭くて仕事にならない。当時のDOSでもハイレゾという1024X768の解像度を得られるパソコンがあった。ハイレゾ対応のビドオカ−ドを積めば。これはOS/2でも同じ。しかしハイレゾパソコンはほとんど販売されていなかった。ということで、パソコンを自作し、ハイレゾのビデオカ−ドを装着するとかいうことをしないといけない。CADAMが指定するバカ高いパソコンを購入すればいいのだが?ビテオに関しては、当時のパソコンのスペックは今の百分のTか千分のTくらいしか能力がない。これで一番の問題は再描画をかけた時。再描画をかけるとパラパラと画像が出てきて30秒くらいかかる。ということで、正直当時のパソコンCADは使い物にならなかった。再描画速度がなんとか満足出来る程度になってきたのはCPUがDX100以降であったと思う。ので大企業はバカ高いUNIXマシ−ンを使用しざるをえなかった。そして零細設計事務所には使い物にならないパソコンCADを使用させてCADデ−タ−を要求するという悲しい期間がしばらく続いた。こういう問題はその後3D CADでも繰り返された。

   あと続く   後日.......................................

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